量販店で、悪魔の果物「ドリアン」を見かけた。
1個1,980円
この果物は、福岡県の漂着物の研究者の第一人者、石井忠先生の著書で知った。
著書で他からの引用であるが以下のようにドリアンの「匂い」を表現している。
「青かびのチーズに卵の腐ったものを混ぜたよう匂い、それにさらにトイレの匂いをミックスしたような、まことに失礼きわまる臭み」
「チーズとたまねぎの臭みに人糞臭あり、初めての人は到底口にし得ない」
とにかく臭い、匂いがきついということである。
しかしこの臭みが病みつきになるらしい。
タイでは、観光客が食べ残したドリアンを現地の人が奪って食べるのだとか。
実は本物のドリアンを初めて見た。
匂いが凄い、と聞いていたので、鼻を近づけて嗅いでいたら、小学生の親子連れが通りかかった。
「なんですか?それは」と聞かれたので、
「悪魔の果物、ドリアン。嗅いでみて」と小学生に促した。
匂いを嗅いだ少女は後ずさりをした。
鼻をつまんで「臭~い!」
石井先生の著書では、1975年ころ福岡のフルーツ店でドリアンを見かけた。
高いもので8000円、安いもので3000円
買うべきか、買わざるべきか、迷ったあげく買って帰り家族に出したが大ヒンシュクを買ったそうだ。
食べ物のあふれた日本で、無理に食べなくてもいいものまで珍しいからと輸入して、売りさばく。
しかも30年以上も前の半分の値段で。
この現実の向こうに、ドリアンの実の傍で苦しんでいる人がいるのではないかと、思った。
そうしたら、ドリアンは買えなかった。
決して匂いに負けたわけではない。
今年の我が家の稲作が本格化してきた。
冬の間の作業は別にして、稲作は田づくりから始める。
水稲は、水なしでは成り立たない。そして水は、そのままでは下から上には流れないし、わずかの隙間があれば上から下に流れていく。
稲作はある意味、水との格闘である。
一冬の間に田のあぜは雑草の根やモグラの活動でぼこぼこになっている。そのような田に水を溜めても水がたまらないので、稲作の最初の仕事は田のあぜ取りである。
今ではあぜを取る機械があるらしいが我が家にはそれがないので、鍬を使い人力で取るしかない。
写真の状態で一日中鍬を使い何百メートルもあぜをとった。腕と腰が痛くなり、2、3メートル進んでは休憩をする。
残りのあぜの距離を見てはため息をつく。
その繰り返しである。
それでもすべてはこの作業を終えないと始まらないから何とかやり終えたその日は、缶ビールを持つ手に力が入らないが、苦労して予定通り作業を終えた後のビールは、また格別である。
冬仕事で大量に切り出した木を、ようやく炭に焼き始めた。
まだ山には切り倒したままにしている木が大量にあるけど、それらを全部切り出していたら大変なことになるので、まぁ、そこそこに・・・
それでもたぶん、まだ数回炭焼きをしなければ、ここに運んできた木は炭にならないであろう。
一回の窯で約200キロの炭ができる。
この前某ホームセンターで、「土佐木炭」というのが売られていた。
5キロで1980円だった。
量販店で一般的に売られている炭は外国製だそうだ。
5キロ千円もしない。500円あまりである。
しかし、やたらと煙が出たり、嫌なにおいがするので使えない、という声を聞く。
当然我が家の木炭も「土佐産」である。
1980円/5キロ×200キロは約8万円・・・
それでも労力と機械などの原価償却費を計算し比較したら、たいした単価ではない。
しかもこれは店頭価格なので、生産者が手にする金額はいかほどか・・・
それを考えたら、産業としては、木炭生産は成り立たないことが誰でもわかる。
農業の端くれをしていたら、日本のゆがんだ姿を、何度も見せ付けられる。
黒潮若者自立塾の農園に、農具や肥料の保管と休憩のための丸太小屋ができつつある。
杉の丸太は年末に近所の方の山から無償で提供してもらったもの。塾生たちが皮をはいで乾燥させていた。
資材もほとんどありあわせのものである。
昨日は塾生が大勢作業に当たっていたそうだが、今日は一人だけ。
その塾生をサポートしているのは、自立塾のスタッフとその父親の大工。
スタッフは今日は休日だがボランティアで、父親も好意で作業に当たってくれている。
その手前には、年初めに植えたエンドウ、ダイコン、ジャガイモが育ち、暖かくなるとともに緑を増して力強く成長してきた。
作物も増え、環境が整えば、社会で生きづらい彼らの自立を応援する”ダッシュ村”になればいいなぁと思っている。
やがてここで、収穫祭のような何かイベントができれば面白い。
知り合いのイチゴ農家から、おけいっぱいのイチゴを貰った。
重量にして約10キロ
見た目は本当に市販品と変わらないけど、微妙に形が悪かったり、部分的に虫に食われていたりと、いわゆる「流通機関」の価値観(基準)に合わなかったものばかりである。
でも食べたら味は一級品となんら変わらない。
流通機関が定めた「規格外」という取り扱いで、日本全国の多種多様な農産物のどれほどの量が廃棄されたり、不当に低い価格で取引されていることだろう。
そんな日本の社会が、まともだと到底思えないが、そのことを政治の場で取り上げる人は誰もいない。
なぜなら、経済的理論の中では「品質の悪いものは価値が低い」というのが当たり前で、それは農業でも同じだと思われているからである。
だから工業製品の車と、命の元である食料を同等に語る。
語るから、日本の自給率はどんどん下がっている。
そのことを気づかずして「自給率の向上」をいくら叫んでも、国民はいつまでも「安い外国製品」を買い続けるのである。
毒入り餃子の事件も、すでに多くの人が過去の出来事だと思ってる。
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